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メカトロニクス  第10回 オリジナルインタビュー

ものづくりにおける独自の生産システムを構築

 ―ユーザーとともに最適な生産設備を開発する―

 

株式会社エイエムディ自動機
ものづくりの試作/開発段階からユーザーとともにプロジェクトを組み、生産技術の最先端分野で様々な提案を行う 株式会社エイエムディ自動機。独自製品の生産において重要とされる生産システムのあり方と同社の今後の展開について、代表取締役 井本 一男 氏にお話しを伺った。
株式会社エイエムディ自動機 代表取締役 井本 一男 氏



 

■御社の概要からお聞かせ下さい

井本:1978年に個人設計事務所として開業したのがきっかけで、当時はひとりでやっていたのですが、1980年に仲間を誘い3人で岐阜県各務原市に自動機設計事務所を設立しました。 仕事は3人とも別々の会社を受けもち、私は自動組み立て機を扱う会社の設計を、あとの2人は工作機械と搬送システムを扱う会社の設計をそれぞれ行っていました。
 別々の仕事を受けもった意図としては、ものをつくる会社を立ち上げたいという思いがあり、実現できるかどうかわからないような状況だったのですが、取りあえず一歩踏み出してみようという気持ちでスタートを切りました。
 その後仕事も軌道に乗り、設計の仕事がメインだったのですがその当時バブル景気の少し前ということもあり、景気が良い時期で設計の仕事以外に、ものをつくってほしいという依頼も少しずつくるようになっていました。
 ただ、仕事の依頼は順調だったのですが、自分たちの思うように設計が進められないといった外注設計の限界にぶつかり始めてた時期でもありました。
 この事がきっかけになり、事務所設立当初の目標としていたものづくりを行えるチャンスでもあったので、設計事務所をやめて法人化することにしたのです。
 それが1987年のことで、専用機/自動機の開発・製造に特化する「有限会社エイエムディ自動機」として再スタートを切ることになりました。バブル景気の後押しもあり、注文も順調に入ってきましたのでスムーズな会社立ち上げができました。
 当時、自社の工場がなく近くの加工業者に間借りしている状況でしたが、1989年に自社の工場を岐阜市芋島に開設し、ONLY ONE専用機の受注生産を行っていました。しかし、バブル崩壊後は専用機の注文も半分に減り、規模を少し縮小する状況に追い込まれましたが、なんとかもち堪えることができました。
 それから1998年、岐阜県羽島郡岐南町平島に当社で企画設計した工場を新設し、本社も一緒に移転しました。
 会社を立ち上げこれまでやってきて、様々な分野/業種で形も違う一台しかない専用機などを受けてきましたが、採算が合わないという大きな問題を抱えていました。今でもユーザーから心配されますが、当時は今以上にその傾向が強くあったように思います。

■どのように解決されたのですか

井本:私は、一台しかない専用機でもユーザーにとって価値のある一台であるなら、採算が合わないのがおかしいというように常々思っていました。
 この問題には色々な要素が絡んでいるのですが、その中でも一番大きな問題だと思われたのは、営業部門,設計部門,加工部門,組み立て部門といったものづくりに携る部門同士のコミュニケーションに時間がかかり過ぎているということでした。
 この仮説から、1989年の工場を開設したときに様々な実験を行い検証した結果、設計部門と工場を離してみると品質や納期などで問題が起こりやすくなり、やはり専用機は社内のコミュニケーションパスを短くしたりスピードを上げることが重要であるということが分かりました。そのようなことから、1998年に新設した工場内には設計室があり、コミュニケーションがすぐ取れるような環境になっています。
 コミュニケーションがどのように変れば、生産性がどのように上がるのかということはなかなか測定し難いですが、間違いなく効果は上がりました。
 現在の岐阜県各務原市には今年の3月に移転し、ISO9001の取得も行いました。

■現在はどの業界のどのような専用機を手がけておられるのですか

井本:主に自動車業界関連の仕事を進めており、分野としては自動組み立てや自動測定、あるいは特殊な工程が必要な製品、いままで世に存在しなかった製品の生産工程も手がけています。
 また、試作/開発まではユーザーが行って、量産する体制を当社で整えていくという生産技術の最先端分野といえるような仕事にも対応しています。前例がある製品であれば、どのような生産システムをつくればよいのか分かりますしリスクも伴いませんが、今までにない製品を今までにない生産システムでつくっていくというのは、大きなリスクを伴うことになります。
 このリスクを伴う生産システムに対して、当社が最適な提案を行っているのです。ここ数年の現象ですが、このような案件がうまく軌道に乗るとグローバル展開に結びつくケースが多く、リピートオーダーにも繋がってきています。
 最先端部分の生産技術において、ユーザーからの一品ものの要求にも応えていきながら、ユーザーの成功に貢献していくことが当社の経営方針にもなっています。

■御社のコア技術についてお聞かせ下さい

井本:生産システムの新製品/新工法に対して、そのシステムをつくる側から色々提案をさせていただき、ユーザーとともに共同開発しながら実際にものにしていくということです。開発や実験というのは、それだけで終ってしまうケースが多く、ものになりにくいのです。
 当社は、開発/実験/試作段階からプロジェクトに参加させていただき、さまざまな提案を行い、実際に発注をいただいたら製作し、部品の品質を確認しながら量産確認をしていくというところまでご一緒させていただいています。優れた生産システムをつくるには、やはり開発の段階から参加していかなくてはいけませんし、設備の事だけでなく製品自体についても知識がないとうまくいきません。
 部品メーカーや車体メーカーなどのユーザー自体、設備そのものの製造は本業ではなく、ノウハウ、要求はたくさんあるのにそれを設備として表現していくのは必ずしも上手でないことが多いのです。
 要求という「ソフト」を設備という「ハード」に変換するところが当社のコア技術、ということになると思います。

■一つのプロジェクトに何人位のスタッフが関わり、どの位の期間を要しているのですか

井本:特に平均というのはないですが、スタッフとしては少数精鋭体制で対応しています。最小限の場合ですと、機械設計が一人、制御設計エンジニアが一人、組み立てが一人といった体制で対応するケースもあります。
 また、一人が一つのプロジェクトだけを担当するのではなく、幾つものプロジェットを担当しており、多い時で5,6件を抱えることもあります。
 期間は、長いものですと1年位かかることもありますが、基本は3、4ヶ月を目標に進めています。営業に関しては、今のところ私が一人で担当しています。

■海外における事業展開などは何かお考えでしょうか

井本:たまたま現在は、アメリカに5人と中国に2人の計7人を派遣しています。 アメリカでは機械の組み立てラインの立ち上げ、中国では排ガス触媒の組み立て機の立ち上げを行っており、両方とも国内自動車関連の海外工場におけるプロジェクトに派遣しています。
 日本車は安価なランクの車でも壊れにくいというイメージがあり、それは基礎となる日本製の部品が非常に優れているということが要因になっていると考えられます。日本のものづくりは、緻密で小さなものからつくり上げるということが非常に得意であり、そういった強みというのは今後もますます強まると考えています。
 当社としては、自動組立システムの面からさらに貢献できるような体制を整えていきたいと考えています。

■今後の事業展開についてお聞かせ下さい

井本:本社を現在の岐阜県各務原市に移転したのと同時に、旧本社を加工工場にしたのですが、来年をめどに現本社を増築して旧本社の加工工場をすべて移転し、部品加工における内製化比率の向上を目指していきます。
 さらに、一番厳しいユーザーと常に緊密に協力しあって、ユーザーの求めているレベルのものをこちらから提案できるような、企業としての力をつけていきたいと考えています。
 また当社の製品は一品ものが多いので、ユーザーに対してどのような製品ができるのかというような具体的な製品名がなかなかいえないため、実績をどんどん積んでいくことで説明していくしかありません。
 そのためにも生産技術の最先端分野で、世界のトップクラスと競いあって技術の向上に努めていきたいと考えています。

本日はお忙しい中ありがとうございました
2006年10月号掲載

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