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2009年6月15日 (月)

【試験機の絵本】 ‘09からの発信 ー第6回 技術はインド洋を越えて…ねじり/曲げ疲労試験機ー

‘09からの発信 ー第6回 技術はインド洋を越えて…ねじり/曲げ疲労試験機ー
 第二次世界大戦が終結を迎えようとしていた頃、ドイツからはるばるインド洋を渡って帰って来た伊号潜水艦があった。当時日本とドイツは戦時同盟協定を結んでおり、同潜水艦は使節としてドイツを訪問したのだが、ドイツとの協定による戦略物資として、大量の技術資料と一緒にシェンク(SCHENCK)社の造った金属材試験機のねじり/曲げ疲労試験機を積んでいた。敵側の監視の激しい海にあって、昼は潜水し夜は洋上に出てひたすら祖国を目指して戻ってきた海の忍者たちの中には、土浦練習航空隊の教官になった下士官もいた。当時、海軍の少年飛行兵として航空隊に所属していた私が教わった教官がまさにその人であり、私は胸を躍らせてこの教官の話を聞いていた(図1)
Img001_2 図1

 それから約10年後、私は社会人として試験機を作る仕事に就いていた。そこへ突然、K重工業より修理依頼が舞い込み、かつて教官から名前を聞いたシェンク試験機と対面することになったのである。しかもこの試験機は、インド洋を越えて日本へやって来た4kg-m型であった。
 ここで改めて、材料試験機の一種であるねじり/曲げ疲労試験機について説明する。丸棒のねじり(図2)と板用の曲げ試験(図3)の両方ができる試験機の中でも、シェンクは基本的な存在だった。当時の日本の試験機と言えば、まだ「切った貼った」と言われたように試作設計に十分時間をかけず、製作過程で部分的に手直ししながら完成するという手法だった。それに比べてこのドイツ製は、全体が鋳物で、木型のレベルから細かい部品や電線を通す穴まで設計され加工されている点から、さすがマイスターやライン生産の国だと感心した。不思議なことに、機械の設計図は油を塗った日本紙に烏口ペンで書いたものが既に存在していたので、それに基づいて描いたのが図4である。
Img002図2

Img003 図3
Img004 (図4)

 ところで、この試験機が故障した場合は、日本製の部品を用いて対応していた。このことは商事会社を通じて、ドイツから日本に来ていたサービスエンジニア クラウスローナーさんの知るところとなり、シェンク社からパルセータという機械の修理依頼があった。調べてみたところ、製作時のミスから起こった電気回路の故障と分かり、マイスターの国ドイツにもこんな失敗があるのだ、と逆にホッとした。この仕事は1週間ほどで終わったが、彼が仕事中にふと漏らした「日本ではシェンクのコピーをたくさん作りましたが、ねじり/曲げ疲労試験機は本国ドイツで製造中止になりました」という言葉は印象的であった。どうして中止になったのか知りたいと思ったものの、言葉の壁もあり聞けずに終わってしまった。クラウスローナーさんの話の後で、シェンク社のコピーが日本で多く作られたことについて先輩技術者に聞いていみると、「機械は戦争中の協定によるものなので、戦争後は協定がなくなったとみなされ、シェンク社の機械を真似て作るのは日本の自由と考えている」という答えで、最初の4kg-m型から次々に新モデルも作られているとのことだった。昭和41〜45年の間には、4kg-m型をはじめとした6機種26台が作られ、倍数比例式の大型には問題もあって国内での最大規模の400kg-m型の機械加工や調整に大変な苦労をすることになった。

 改めてシェンクのオリジナルを検討してみると、図4中央の潤滑チャンバを挟んで右が動力のモータで左がトルクメータになるが、潤滑チャンバ内の軸(図5)が二重離芯をして加算と打ち消しをしている点がこの案(図6)の素晴らしいところである。更に、トルク計測部ケース(図7)は、左右にあるフレキスタンドに支えられて中に浮いた状態となっているなどの独創的な部分は学ぶべき点である。しかしその一方で、これらの案に依存することで我々の試験機は特徴を失い。海外のシェンク、リーレー、オルゼン、アムスラー、チムケン、インストロン、ヘイなどの名前は我らの先輩やユーザー諸兄から信仰に近い状態で呼ばれており、優劣の差は明らかだった。シェンクねじり/曲げ疲労試験機も、類似の試験機を含めた総称のように呼ばれていて、日本製のものでもシェンクと言われていた。そのブランド力から、海外有名メーカー製品をコピーして販売している会社もあった。しかし我々電気グループは、既に別の機械の制御(図7)により潤滑ポンプ制御や自動停止、回数カウントをしていて、後にはストレインゲージによるトルク計測や波形分析(図8)まで次第に分野を広げていくと同時に、機械の問題まで検討するようになった。その結果、インド洋を渡ってきたこの疲労試験機や、そのコピー商品の問題点も明らかになっていき、やがて消滅することとなった。
Img004
図4

Img005 図5

Img006_2 図6
Img007 図7
Img008図8

著者:飯野 純夫

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